ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝は、北海道余市蒸留所に続き第二の工場建設を夢見ていた。
政孝には理想とする良いウィスキーづくりへのこだわりがある。
それは異なる地で作られた複数のウィスキーをブレンドすること。
そしてその醸造からボトリングにおいて使う水は、ウィスキーの出来上がりに大きく影響するということ。
ゆえに、新たな工場建設には自然豊かな環境に加え、良質な水が流れる川に重点を置かなければならなかった。
その志を受け継いだ竹鶴威は仲間を連れて、第二のウィスキー工場用地を求めて動き出したのだった。
目指したのはウィスキーの製造環境に適した東北の地。
岩手・宮城・福島の3県をめぐり、いくつもの川を渡り歩いたのだ。
一行が宮城県の山間を流れる川にたどり着くころ、太陽はすでに西の空へと傾き始めていた。
仕方なく竹鶴威らは一晩を近くで過ごし、翌日もう一度その場所を訪れたのである。
そこには何か感じるものがあったのだという。
川へ下りるなり清く流れるその水を口にした瞬間、「これだ」という直感的なものを受けた。
新たな工場建設候補地として、すぐさま竹鶴政孝に報告。
その一か月後、実際に政孝を現地へ同行させたのだった。
案内した川の水を飲んだ政孝が衝撃を受けるように「ウィスキーを持ってこい」と言うと、居合わせたスタッフがニッカウヰスキーを手渡した。
その場でグラスにウィスキーを注ぎ、川の水で割ってみたところ政孝はさらに驚嘆してしまった。
実に良い水割りができたのだ。
これこそがウィスキーづくりに最適な求めていた水だと。
2つの特性が見事に調和し、その味に確信を得た政孝は、ここに第二の工場を作ることを決心した。
政孝が訪れたその川の名前は、宮城峡新川川。
まさに偶然が生んだ奇跡とも呼べる地なのかもしれない。
だからこそ、この宮城峡というウィスキーには深い味わいがあるのだろう。
その土地、その環境でしか作り出すことのできない資源。
限りある素材で作られたウィスキーには独特な個性が際立ちファンも根付くという。
宮城峡蒸留所が竣工を迎えるにあたっては、まだまだ数多くの逸話がある。
実は工場建設に着手したころ、澄んでいたはずの新川川が濁りだしたのだ。
ニッカウヰスキー仙台支店勤務の中島氏は、その原因を追究すべく川の上流へと向かった。
すると川の濁った原因はすぐに判明した。
上流で砂利採取業者がショベルカーで川底を掘り上げていたのだ。
これでは川が濁りだすのも仕方がない。
しかし。
中島はどうしても澄んだ川の水を維持したかった。
政孝が自ら川の水をくみ上げ、水割りを作ったという場所を綺麗な水のまま残したかったのだ。
なぜなら全国から訪れるお客様へ、その場所を案内したかったからだ。
中島はなんとか砂利採取作業を中断してもらおうと、業者を訪れ事情を説明するも当然のごとく拒否される。
そこで中島は「相手の身になる」ということを考えたのだ。
業者側の立場となり、相手の思念を理解しようとしたのである。
さっそく砂利採取業について勉強を始め、それに携わる資格も取得。
砂利採取という職業がいかに大切な仕事であるかを中島は誰よりも理解したのだ。
その上で再び業者を訪れる。
中島が自ら学んだ知識を生かし、砂利の採取場所を変更してもらうよう懇願したのである。
さすがの業者も彼の熱心さに感心し作業を中断。
採取場所を上流から移してくれたという。
中島の政孝に負けないウィスキーづくりへの想いが強く伝わってくるエピソードである。
これらのようないくつもの苦難があって、宮城峡蒸留所は無事完成に至ったのだ。
国産のサントリー山崎や白州、北海余市に比べれば知名度は劣るかもしれない。
けれども、緑に囲まれた風土と恵まれた貴重な水が、ここ宮城峡にはある。
そんな理想とするニッカウヰスキー第二の蒸留所は、竹鶴政孝をはじめとする熱意あふれるスタッフにより造り上げられたのです。
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