つ世界には数多くのウィスキーが存在する。
しかしその銘柄に、定冠詞である「THE」がつくボトルはどれだけあるだろうか。
「ザ・グレンリヴェット」
すべてのシングルモルトウィスキーの原点とも言われるウィスキーである。
なぜ、そう呼ばれるようになったのか。グレンリヴェットがここまでのボトルになったのにはワケがある。
スコットランドのスペイサイド地方。
ゆるやかな時間が流れるこのエリアのはずれに、グレンリヴェット蒸溜所はひっそりとたたずむ。
シーバスリーガルのキーモルト「ストラスアイラ」でも名が知れる、キースという町からさらに内陸へと入り込む。
鉄道で行けるのはダフタウンまで。これより先は車での移動となる。
A95号線を南下し、ケアンゴームズ国立公園方面へと向かう。
エイボン川に沿って、スコットランド特有の畑道を進むと、やがてその蒸溜所は姿を現す。
ここグレンリヴェット蒸溜所の創業者はジョージ・スミス。この人物なくして、グレンリヴェットは語れない。
スコットランドにはかつて密造時代と呼ばれる時期があった。
ウィスキーに対する課税がエスカレートすると、人々はその重税から逃れるためにウィスキーの密造を始めたのである。
密造酒の作り手は多く存在したが、中でもそのウィスキー作りの名人と言われたのが、ジョージ・スミスなのだ。
見事な蒸留酒を作り出すという評判からその名はすぐに広まり、当時の国王ジョージ4世の耳へ入ることになる。
ジョージ・スミスが密造するウィスキーにすっかり魅了された国王は、これをひそかに愛飲することとなった。
ところが、国王たるものが密造酒を愛飲することは許されない。
そこで、まずは酒税法の改正をはかると、ジョージ・スミスの蒸溜所を政府公認第一号としてライセンスを与えたのである。
これを機に、ジョージ・スミスのグレンリヴェット蒸溜所にあやかり、同じ名前を持つ蒸溜所が複数名乗りを上げる。
この状況を許しておくわけにはいかないと、ジョージ・スミスの後継者となったジョン・ゴードン・スミスは立ち上がった。
ジョンは、自らの蒸溜所で作られるウィスキーこそが、唯一のグレンリヴェットであると主張したかったのだ。
模造品の横行に終止符を打つために、長期にわたる訴訟を繰り返したのである。
その甲斐あって、ジョージ・スミスから受け継がれてきたグレンリヴェット蒸溜所は、その占有権を勝ち取ることになった。
その名も「ザ・グレンリヴェット」・・・ジョージ・スミスの蒸溜所で製造されるグレンリヴェットだけが、定冠詞「THE」を付けることが許されることになった。
これが、スコッチウィスキーの原点とも言えるボトルの始まりである。
その味は今も変わらない。
なぜなら、こだわりの製法や風土、原材料やマザーウォーターとなるジョージーの湧き水、そして職人の技。
これらどれひとつとして欠けることなく、伝統を守り続けているからである。
ザ・グレンリヴェットというウィスキーの始まりを書いたが、まだまだこのモルトにまつわるエピソードは尽きない。
発芽した麦を乾燥させる方法や熟成の工程などは、このグレンリヴェットの密造を経て確立されたと言われている。
ウィスキーのもつ琥珀色、これも密造時代がなければ定着しなかったのかもしれない。
当時、出来上がったウィスキーを隠すため、樽を用いて保管していた。
そこで偶然にも、樽が持つ独特の木の香りが調和するとともに、ウィスキーに最も適した熟成方法の発見にもつながった。
ザ・グレンリヴェットの名前には意味があるように、その味にも秘密があるのだ。
いつかまた、これら魅力あふれる歴史について書いてみたい。
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